すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
聖 書 ペテロ第一の手紙1章1~5節
説教題 「朽ちず汚れず、しぼむことのない資産」
神の恵みにより、新しい年を迎えることが出来ましたこと感謝です。本年も、わたしたちの先頭に立って導いてくださる神に信頼して、一日一日を歩んで参りましょう。
イエス・キリストの恵みによって、わたしたちの地上での生活は、神の御許にある資産を受け継ぐための旅として示されています。この年の歩みも、その旅の途上にあります。
わたしたちがなによりも心にとめるべきは、わたしたちの旅の間、また、その終わりまで、わたしたちは信仰において、神の御力の守りの中に置かれているということです。わたしたちが、神に信頼して、その御心に従い、希望することを許されている御国の資産を受け継ぐための歩みを進めるならば、いかなる時も神が守って下さることが約束されています。それゆえ、この年も、神の平安と恵みの中で、感謝と喜び、希望の生活をたゆみなく歩んでまいりましょう。
わたしたちの目指しているところは、復活の主イエス・キリストの栄光のかたちへと、わたしたちが移される救いの完成の時であります。この完成において、神がすべてのすべてとなって下さる時を信仰の眼で見つつ、今、ここでの神に在る生活をなすことが許されているのは、幸いであります。
神に在って、神と共に、キリストにおける恵みと平安の中にある一年の歩みを、心を合わせ、祈りを合わせ、力を合わせて共に進められることは感謝であります。
わたしたちが先に受けることを許されている神の恵みの良き証人として、まだ神の恵みを知らない人々へ、その恵みを証しする幸いな奉仕が出来る事もまた、この一年のわたしたちの喜びであります。神が、わたしたちの奉仕を祝福してくださり、導いてくださいますように。
全地の人々が神のみ前にへりくだり、神が備えて下さった救いの恵みを受け入れ、神の平和を心に宿すことが出来ますように。栄光限りなく父・御子・御霊の神に在りますように。
聖 書 「ペテロ第一の手紙3章23~24節」
説教題 「イエス・キリストにある喜び」
イエス・キリストによる恵みを与えられ、その人生が希望に生きる人生として新たにされた者の目標が示されましたが、(天にたくわえられている、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐこと)キリスト者は、その目標を神が実現してくださるまで、世において様々な試練の時をくぐります。その試練の間、信仰者の力となるのは、イエス・キリストにある喜びであります。
主イエス・キリストの救いの出来事を身に受け、その証し人とされた使徒たちの証言を聞き、信じることを得た者たちは、信仰においてイエスを見、愛し、喜び、救いの恵みにあふれます。イエスを信じる者たちの内に宿る喜びと平安は、イエスに結びついている限り、永続するものであり、失われることはないものであります。そして、この世におけるどんな力にも打ち勝つ力の喜びであり、平安であります。このゆえに、信仰者は、世の多くの試練の中で信仰を通して神に守られつつ、目標へと急ぐことが出来るのです。
キリスト者の信仰の目標地点は、イエス・キリストの再臨としても示されます。やがて、天からイエス・キリストが栄光のうちに、再び現れて下さる時には、ご自身の復活の栄光のかたちへと信仰者を入れて下さいます。この約束の希望の中で、イエスにある喜びに支えられつつ信仰者は、世のすべての試練に打ち勝つことを許され、神とキリストへの讃美にあふれるのです。
神に在って新しく生まれたものとして、信仰、愛、希望を生きる人生を貫いていき、神によって備えられた天の資産を継承する者となる恵みの中に、終わりまでしっかりと立たせていただきますならまことに幸いであります。主の豊かなあわれみと守りを祈ります。
栄光とこしえに父・御子・御霊の神にありますように。
聖 書 ペテロ第一の手紙1章13~19節
説教題 「心の腰に帯を締める」
イエス・キリストの十字架の死と復活を通して、罪の許しと、復活の、永遠の命の約束の希望の中へと入れられた人は、神により、新しく生まれた人となったのです。その人生は、神によって、天に備えられている朽ちることがなく、汚れることがなく、また、しぼむこともない永遠の資産を受け継ぐ目標が定められ、希望に生きることを許されている者とされています。したがって、命の目標を持たない希望なき生き方をするべきではありません。常にこの目標に向かって身を整え、来たる時、それをすぐに受け取れるよう準備をしている生活が求められているのです。「心の腰に帯を締めなさい」とは、そのような心構えを指しているのです。
神によって備えられた目標からそれ、天の資産を受けるに
ふさわしくない生活へと堕落することのないよう注意されています。天の資産を受け継ぐ神の子としての身分を終わりまで生きること、(これは、イエス・キリストの恵みにより与えられた身分)神の守りの中に終わりまでとどまること、そして、それにより、約束された栄光の復活の命(天の資産)を相続することになるのであります。
神の尊い約束を離れ、再び、死を結果する罪の空疎な生活、救いの希望のない生活へと堕落することがあってはなりません。しっかりと目標に目を向け、希望を生きる人生こそが、信仰者の唯一の人生であることを、日々確認しながら進んでまいりましょう。神の御子・イエスキリストが、わたしたち一人一人のため、わたしたちを永遠の救いの命へと入れるため、父なる神のもとから下り、ご自身をささげてわたしたちの罪のあがないをなし遂げて下さった絶大な愛を覚え、自らを大事にしつつ、神の子としての幸いな、聖なる生活を建てていきましょう。神の尊い恵みにこたえつつ。
栄光とこしえに、父・御子・御霊の神にありますように。
聖 書 ペテロ第一の手紙1章20~25節
説教題 「信仰と希望に生きる」
イエス・キリストにおける神の恵みの救いは、天地の造られる前から神に知られており、実現された救いであると言われます。神が、わたしたちの救い主として、わたしたちの救いに心を向けておられなかった時はないということであります。
わたしたちは、わたしたちの救い主として立てられている神の独り子イエス・キリストにおいて、常に神に覚えられ、神の父としての御愛の中に置かれていたのであり、おかれているのだということが示されています。それですから、誰も、自分は誰にも愛されていないとか、誰からも目を向けられていないとか、誰にも覚えられていないとかなどとは、言えないのであります。わたしたちの天の父なる神(造り主であり、ご自分のかたちにわたしたちを創造されたかた)は、変わることのない永遠の御愛をもって、わたしたちのことを見守っておられ、わたしたちを幸いな人生に導こうと働きかけておられるのであります。
しかし、その事実を、わたしたちは知らないのであり、知らなかったのであります。そのことをはっきりと、しっかりと、わたしたちにわからせるために、イエス・キリストがわたしたちのもとに来て下さり、御言葉の教えと救いの御業を成し遂げ、ご自身のもとへと呼んで下さるのであります。イエスのみ言葉の教えと、救いの御業を受け入れることにより、わたしたちは、わたしたちに対する神の永遠の御愛に出会い、その中へと入れられ、神と共に生きる幸いな人生を、わたしたちの新しい命としていただきます。この新しい命は、イエス・キリストの十字架の血により、すべての罪を清められ、死人の中から復活したイエスの義のいのちと結び合わされている命であり、イエス・キリストが栄光のうちに天から現れて下さる時、イエスの栄光のかたちへと完成される命であります。
そして、この命は、永遠の神の御国を継ぐ命であります。イエス・キリストの救いを与えられている人は、この復活の栄光の命の完成する時を待ち望んで、信仰による命を生きていくのであります。見えるものによらず、まだ見ていないもの、やがて来るであろう神によって備えられた御国における完成の命を望みつつ、感謝と喜びの中を生きていくのです。
イエス・キリストの復活の事実が、信仰者の信仰の生を固く支えています。
栄光とこしえに父・御子・御霊の神に在りますように。