すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
第一テモトへの手紙1章15:16節
15.
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。
16.
しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。
第一テサロニケ人への手紙5章9~11節
9.
神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。
10.
キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。
11.
だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。
エペソ人への手紙1章7~12節
7.
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。
8.
神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、
9.
御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。
10.
それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。
11.
わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。
第一ペテロの手紙2章22~25節
22.
キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。
23.
ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
24.
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
25.
あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。
ローマ人への手紙6章6~11節
6.
わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
7.
それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。
8.
もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。
9.
キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである
10.
なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。
11.
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。
へブル人への手紙4章14~16節
14.
さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。
15.
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
16.
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。
コロサイ人への手紙2章12~13節
12.
あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。
13.
あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。
テモテへの第一の手紙4~6節
4.
神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。
5.
神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。
6.
彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない。
へブル人への手紙7章22~25節
22.
このようにして、イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである。
23.
かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。
24.
しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。
25.
そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。