すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
聖 書 ルカによる福音書6章46~49節
説教題 「堅い土台の家と聞いて行う人」
信仰生活を建てることについて。堅い岩の土台の上に家を建てる人に譬えています。
労を惜しまず土を深く掘り下げ、岩を土台として家を建てると、大洪水になってもその家は、揺り動かされず、しっかり建っていることが出来ます。そのように、信仰生活も大きな試練の時にも揺れ動かされず、しっかり立っていることが求められます。信仰に堅く立って、神の終わりの日の救いにあずかることが信仰生活の目標だからであります。そのような堅い信仰生活をわたしたちはいかにして建てることができるのでしょうか。そのことについて、最初に言われています。イエスのもとに来て、イエスの御言葉を聞いてそれを行う人が、試練の時にも信仰を失うことなく、 信仰に堅くたつことのできる人 なのです。
なぜなら、イエスの御言葉を行う人は、真実にイエスを主と崇め、僕としてその御心を重んじる人で
あります。それゆえ、イエスに対する深い堅い信頼と愛の交わりが信仰生活において形成されます。
そして、どのような時もイエスの御心に従う用意が日々の信仰生活の中でつくられていきます。
そういう心構えにおいては、試練の時、イエスの御心が示されるまで、忍耐することができ、希望に生
きることが出来ます。忍耐と希望は、信仰生活において重要な賜物であります。忍耐と希望、愛の賜物
を増し加えていただくことで、わたしたちの信仰生活は、より堅固なものになっていきます。
このたとえは、普段の生活の中での、試練に耐え抜く堅い信仰についての教えと、さらに、終わりの
裁きの時の試練に耐える信仰をも重ねられ、教えられています。
偽りのない信仰、イエスの御言葉を行うことを土台としている信仰生活を追い求めてまい
りましょう。
栄光とこしえに父、御子、御霊の神にありますように。
聖 書 出エジプト記16章1~12節
説教題 「荒野で賜るパン」
神により、エジプト王の力から完全に解放されたイスラエルの人々は、神の導きのもと約束の地に向かう旅を続けました。その途上、飲み水や食べ物が得られないことで、統率者であるモーセやアロンは、民からたびたび非難され、その不信仰な在り様に悩まされました。
そのたびにモーセは神に叫び、神の指示を受けて問題を解決しながら忍耐強くその任務を果たしていくのです。約束の地に至るまでには、様々な困難を乗り切らなければならないことが明らかなのですが、人々は困難の前で、すぐに神と神の約束、統率者たちへの信頼を離れ、不信仰の言動に走りました。あたかもモーセたちが、悪意を持ってその民の豊かなエジプトの地から導き出し、食べ物のない荒野で死なせるつもりなのだと非難するのあります。神の力による数々の救いの恵みを経験しながら、目の前の困難に目が見えなくなってしまう人々の現実の姿があります。多くの恵みを受けながら、すぐそれを忘れてしまい、どんなことでも神への信頼につながっていかない恵みの受け方があります。
受けた恵みを心に堅く止め、神への信頼につなげ、忍耐強くあることが、新たな信仰の高みへとわたしたちを引き上げ、信頼と愛と希望生きることを可能ならしめるのであります。
さて、民の不信仰の在り様に対して、しかし神は忍耐強く、憐れみに富み、恵み深く振る舞われたことが、語られています。
荒野で食べ物に植える民に対して、神はマナと呼ばれる主食となる食べ物を備え、また、シナイ半島を移動通路とるうずらを肉として与えられました。神は約束の地に入るまで、その民を荒野で養い守られます。イスエルはカナンの地の境に至るまで、40年の間、神により、マナによって養われたと16章35節には記されています。
カナンの境に至るまでの旅路は、イスラエルが、神の民として神の訓練を受ける機関でもあったのです。神は、イスラエルの人々にその旅の途上で、繰り返しご自身を現し、主として知らしめ、相することで、ご自身のために奉仕する祭司の国、聖なる民としてイスラエルを聖別なさるのであります。神の御心は深いかな。
栄光とこしえに神にありますように。
聖 書 ペテロの第一の手紙2章1~10節
説教題 「神に喜ばれる捧げもの」
イエス・キリストを信じて、イエスによる罪のあがないを受け、神のみ前に義とされた人は、神から新しく生まれた人であります。その人は、聖霊の賜物を与えられ、罪の古い生活と死に別れ、聖霊の導きによる新しい生活を受け取っていきます。この新しい生活の実りが、神に喜ばれる捧げものになっていくのです。まず何より、イエスを信じて その恵みを受ける者は、神に捧げられた者であり、 選び 分かれた 聖なる者であります。そして、そのことに応じて、自らを神に捧げることから 信仰者の(キリスト者の)神に喜ばれる 捧げ物の生活が始まります。
神に喜ばれるキリスト者の生活について、 ヘブル 人への手紙13章15節には「私たちは イエスによって、 さんびのいけにえ、すなわち、 彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。そして、善をおこなうことと、施しをすることを忘れてはいけない。神はこのようにいけにえを喜ばれる」とあります。
イエス・キリストにある神の恵みを常に心に留め、御名を讃美し、神の喜ばれる隣人愛の生活をすることこそ、新しく生まれた者の、神にささげられれた者の、神にささげられた成長していく命であります。
ペテロの第一の手紙2章1節では、「あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて」とあり、隣人愛の生活を建てるため、混じりけのない霊の乳を慕いもとめることが勧められています。混じりけのない乳、神からくる食物は、礼拝生活の中で神から送られる御言葉を通して霊の糧を示しているでしょう。神の御言葉を聞き、御言葉に従がうことにより、キリスト者の生活は新しくされ、神にあって成長していきます。成長するための食物を慕いもとめることは、生まれた命にとって必須のことであります。神からくる新しい命の糧を慕いもとめて成長しつつ、神に喜ばれる捧げものをささげさせていただきましょう。キリスト者は、祭司族、祭司の国、神につける民と言われています。
神の御業を語り伝え、執り成しをしつつ、全地の人々が神の救いの恵みを受けるよう、全地の人々のため奉仕をする者たちであります。主のみ名があがめられますように。
父・御子・御霊の神に栄光とこしえにありますように。
聖 書 使徒行伝 15章36~16章5節
説教題 「諸教会問安の旅」
アンテオケ教会における割礼問題を解決するために、パウロとバルナバは、数人の人々と共にエルサレムに上り、使徒たちと協議を行いました。そして、協議において、救いのために割礼を受ける必要はないとの結論が出されましたので、文書と口頭で、そのことを各地の集会(教会)に伝達することが彼らに託されました。アンテオケにもどった二人は、しばらく兄弟たちと過ごした後、各地の集会を問安する伝道の旅に出ることになりました。バルナバは、前回の同伴者ヨハネ・マルコを一緒に連れて行こうとしました。しかし、パウロはこれに強く反対しました。前回ヨハネが、途中で務めを放棄し、エルサレムに帰ってしまったことで、マルコは不敵任と考えたからであります。二人は激論し、最後まで意見が折り合わず別々に出発することになりました。バルナバはマルコを伴って前回同様クブロ経由で(船路)、パウロはシラスと共にシリア・キリキヤ(陸路)まわりで、兄弟たちの祈りにより送り出されました。(第二回伝道旅行)
長い間共に心を合わせ、協力し合って働いていたパウロとバルナバが、ヨハネ・マルコのことで意見が合わず決裂したという厳しい出来事が語られてきます。それぞれの在り方が貫かれたのです。伝道の旅は、多くの厳しい労苦に満ちたものであります。それに耐え抜き、その務めを全うする在り様をパウロは求めていたのでしょう。ヨハネの前回の在り様、パウロを失望させるものでありました。しかし、バルナバはなお、ヨハネ・マルコに対する期待を捨てることなく、ヨハネに機会を与えようとするものでありました。それが、まさにバルナバという使徒の在り様であり、受容するちからの大きい使徒であったのです。この二人の使徒のそれぞれの在り方が、若いヨハネ・マルコを、あらゆる苦労に耐え抜く伝道者にそだてたのではないでしょうか。聖書の他の箇所に、パウコ・バルナバ・マルコのその後の関係が記されているのを見てみます。
Ⅱテモテ4章11節「ただルカだけがわたしのもとにいる。マルコを連れて一緒に来なさい。彼はわたしの務めのために役に立つから」。コロサイ人への手紙4章10節「わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコと、バルナバのいとこマルコとが、あなたがたによろしくと言っている」Ⅰコリント人への手紙9章6節「わたしとバルナバには、労働をせずにいる権利がないのか」決裂した3人がまた一緒に働いていたことがうかがえます。
マルコ・ヨハネは、パウロの厳しいさとバルナバの寛容さを通して立ち直り、良き働き人となり、パウロに受け入れられ、愛され、パウロを助ける伝道者となったのです。神の恵みは大きいかな。
さて、パウロがルステラの集会に着いた時、そこにテモテという若い評判のいい信者がいました。ギリシャ人を父とし、母はユダヤ人でありました。このような場合、子供は母の国籍に属したのです。パウロはこのテモテを同労者として、チームに加えるため、その地方のユダヤ人を躓かせないため、テモテに割礼をうけさせたとされています。割礼は、救いの条件としてではなく、ユダヤ人に心を開かせ、福音の言葉に耳を傾けさせるための手立てとしてであります。神の救いは、ユダヤ人から異邦人へと広がっていくことが神の救いの秩序でありました。その秩序に従って、使徒たちは、どこに行ってもまず、ユダヤ人の会堂礼拝においてイエスの福音を告知したのです。
さて、新しい仲間を同労者として加え、エルサレムの使徒会議で取り決められたことを、文書と口頭で伝えながら、使徒たちは町々にできた集会を回り、励ましていきました。その交わりと伝道活動を通して、諸集会(教会)は、信仰を強められ、信者も増えていったとあります。使徒たちの訪問とエルサレム教会からの文書による報告を受けて、各地の集会が結び合わされ、主イエスの一つの教会として成長していった様子がかたられています。主に栄光あれ。