すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
へブル人への手紙7章22~25節
22.
このようにして、イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである。
23.
かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。
24.
しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。
25.
そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
エペソ人への手紙2章4~9節
4.
しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
5.
罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――
6.
キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。
7.
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。
8.
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
9.
決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
第一ヨハネの手紙2章1~5節
1.
わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。
2.
彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。
3.
もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。
4.
「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。
5.
しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。
ローマ人への手紙8章10~11節
10.
もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。
11.
もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。
ローマ人への手紙3章21~24節
21.
しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
22.
それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
23.
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
24.
彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
コロサイ人への手紙3章1~4節
1.
このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
2.
あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない 。
3.
あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
4.
わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。
ガラテヤ人への手紙5章5~6節
5.
わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。
6.
キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。
ガラテヤ人への手紙3章6~9節
6.このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。
7.
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。
8.
聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。
9.
このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。